事業承継まで463日
東京の生活は貧乏ながらも楽しく過ごしていると
あっという間に2年が経過し、専門学校も卒業となりました。
卒業時には、生徒は入学当時と比較して半分ぐらいまで減少
していました。
入るのは簡単だが卒業するには数多くの宿題と課題を
こなさないといけないので軽い気持ちで入った生徒は
殆ど姿を消していました。
40年前はまだ高齢化が進んでいない事とバブルの頃だったので
数多くの生徒入学してきました。
余談ですが当時人気だった専門学校はこれからはコンピューターの時代が
到来するという事でまだ目新しい情報処理の専門学校だったと思います。
そんなこんなで就職が決まり、仲の良い大阪出身の友達と東京駅から
少し歩いた八重洲口のインテリア・ディスプレイを営む会社に
就職しました。
私は専門学校ではインテリア科を専攻していました。
本当はグラフィック科がよかったんですがいつか沖縄に
戻った時にインテリアの方が就職に有利と考えたからです。
そして私はインテリア部、友達はディスプレイ部
しかしそこは今では考えられないブラック企業でした。
続く・・・
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