事業承継まで462日

今日は本題の事業承継から少しそれますが

僕の孫の1歳の誕生日です

タンカーユーエーです(わからない方は調べて下さい)

おじいちゃんからすると「孫を育てる責任が無いから可愛い」

と前々から聞いていましたが、本当に可愛いです。

性格からして、孫が出来てもスマホの待ち受けにするような

タイプで無いと思っていましたが、産まれたら直ぐに

待ち受けにしました。

これには自分自身が一番ビックリした程です


但し「責任が無いから可愛い」と言う表現とは少し違う感じがします

どちらかと言うと、孫が産まれるには、僕に子供がいて

そして僕の両親がいないと僕も存在しません。

そして、僕の両親にも親がいて・・・・と先祖がいないと

孫は存在しません。

当たり前だろ!

と思うかも知れませんが、改めてこの事を再認識し「感動」しました。



またこの事は書こうか悩みましたが、忘れないように書いておきます。

孫は2人目です。

しかし、一人目は産まれて2ヶ月も経たないうちに亡くなりました。

コロナだったので、実際一度も会う事なく天国に旅立ちました。

危ない状態が産まれて続いていたので、辛い日々が続いていました。

毎週月曜日に、先生から状況を伝え聞く事になっていたので

日曜日になると、心臓が痛くなりました。

心臓が痛くなる・・・僕にとって初めの経験てでした。

それもあったかも知れませんが、無事生まれて育つと言うことは

当たり前でないと日々感じています。

普段、会う人も幸せそうに見えても、辛い事を顔に出さずに

生きている人が世の中には沢山いるんだろうなとふと思う事が

あります。



少なからず、この経験が「事業承継」にも影響を与えました。

これまでは、自分で何とかしてきたつもりでしたが孫の事では

神に祈るしかありません。結局何もできませんでした。

無力感を感じながら、これからの人生を考えた時に別のステージに

行くしかないと考えるようになりました。

経営者でいることは、全力で経営にあたる事ができなければ

去るべきだと以前から考えていたので、ここは社員に頑張っても

らおうと思いました。惰性と保身は会社を衰退させます。

幸い、有能な社員が揃っていたのですんなり次期承継者も決まりました。

「複合的な経験」を経て、前から考えていましたがいつかは

承継しなければならないのでこの経験で踏ん切りがつきました。


この経験だけが承継を決意させたわけではありませんが

55歳を超えると、予想できない自分では何とも出来ないことが数々と現れてきます。

次のステージでは、まわりの人に恩返ししなければならないと思っています。

だからと言って、いきなりボランティア等を始めるとかではありません。

自分なりの、関わり方があると思っています。


またおいおいその「承継に至る複合的な経験」も書いていきたいと思います。

komusuke

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